ロビー・ロビンソンというボディビルダーをご存じでしょうか?
- アマチュアの大会に300回以上出場する
- 「Masters Mr. Olympia」の初代チャンピオンになる
- 黒人選手として初めて「muscle magazines」で特集を組まれる
- 史上初めてプロのボディビルダーとして60代でステージに上がる
など長きにわたりボディビル界で活躍し、歴史に名を刻んできた偉大なボディビルダーです。
今回の記事では、そんなロビンソンについて紹介していきます。

プロフィール
本名:ロビー・ロビンソン(Robby Robinson)
愛称:The Black Prince、 Mr Lifestyle
出身:アメリカ合衆国ジョージア州ダマスカス
生年月日:1946年5月24日
身長:170cm
体重:91-97kg
胸囲:135cm
上腕:55cm
ウエスト:71cm
大腿:70cm

経歴
生い立ち
1946年、ジョージア州で生まれて間もなくフロリダに引っ越したロビンソンは、14人兄弟の一人として育ちました。
当時ののアメリカは人種差別の真っただ中。
黒人のロビンソンも決して楽ではない幼少期を送りますが、人生に対する情熱は決して失わなかったといいます。
12歳の時に「Jack La Lanne」という当時のフィットネス界のスターを知ったロビンソンは、そこからフィットネスに興味を持ち始めます。
高校ではアメフトや陸上で活躍しつつも、ボディビルへの興味を高めていったロビンソン。
ジョー・ウィダーという当時の大人気ビルダーの写真を見たことで、ボディビルダーになろうと思い始めました。
アマチュアボディビルダーとして
当時のアメリカは人種差別が横行していました。
そのせいで、黒人のロビンソンは、トレーニングを始めた当初はジムに入会すらさせてもらえませんでした。
しかしロビンソンはあきらめず、スクラップ場の金属を使ったりして自分流のトレーニングを続けました。
そのうちに肉体は成長し、彼はボディビルダーとしての名声を求めてフロリダや東海岸を中心に可能な限りたくさんの大会に出場していきました。
途中1969年に徴兵され2年間競技から離れることもありましたが、帰国後もすぐに大会に出場するなど、大きな情熱をもってボディビルに取り組んでいきました。

ゴールドジムへ
1975年までに300を超えるアマチュア大会に出場していたロビンソンは、プロに最も近いアマチュアビルダーとして知られていました。
当時すでに結婚し3人の子供がおり、ノミ屋の経営者としての仕事もあったロビンソンですが、あこがれのジョー・ウィダーから誘いの手紙を受けたことをきっかけに、これらをすべて投げ出し、プロになるべくカリフォルニア・ベニスのゴールドジムに移ることを決意します。
ゴールドジムに移籍したロビンソンは、アーノルド・シュワルツェネッガーやフランク・コロンボなど、あこがれだったビルダーたちがそこでハードにトレーニングしている姿に圧倒されます。
そこでも実力を認められたロビンソンは、ゴールドジムの一員として、トップビルダーたちと混じってトレーニングを開始しました。
プロとして
1975年にプロとしてデビューしたロビンソンは、「Mr. America」、「Mr. World」、「Mr. Universe」で3冠を成し遂げる大活躍を遂げ、一躍トップビルダーへと駆け上がります。
その後も彼の活躍は続き、1977年から出場したIFBBの大会ではなんとすべて優勝しています。
そのころからMrオリンピア制覇を目指してトレーニングに情熱を燃やしていったロビンソン。
腕や背中のボリュームとウエストの細さ、、完璧なコンディションを持ってくる仕上がりから、オリンピア制覇は間違いないと誰しもが思っていました。
しかし、1977年のオリンピアではクラス別優勝を果たすものの、オーバーオール審査ではフランク・ゼーンに敗れてしまいます。
翌年もクラス別優勝したもののオーバーオール優勝は果たせなかったロビンソン。
当時は人種差別の全盛期で、コンテストにおいても白人が優遇されていると考え、ジャッジへの不信感を募らせていきます。
これが原因となり、1980年台ごろから大会への出場も減ってくることになりました。

Masters Mr. Olympia
1994年、40歳以上のボディビルダーを対象とした大会、「Masters Mr. Olympia」が開催されました。
この大会に出場したロビンソンは、
「ルー・フェリグノが優勝するだろう」
という大方の予想を覆し、見事初代チャンピオンに輝きます。
さらに1997年と2000年には50代部門で優勝を果たしました。
IFBBへの挑戦と追放
当時の黒人ボディビルダーは金銭的な面でも苦しい思いをしていました。
1977年のボディビルのドキュメンタリー映画「Pumping Iron」などはそれを顕著に表しており、主演のアーノルドや白人選手が莫大な契約金をもらう一方、黒人選手への報酬はスズメの涙ほどでした。
さらに黒人選手に対するジャッジの不正疑惑も上がるなど、黒人ボディビルダーにとっては苦しい時期でした。
そこで立ち上がったロビンソン。
長きにわたりIFBBに黒人選手の権利を主張し続けます。
次第に彼とIFBBとの対立は深まり、ついにロビンソンはIFBBから永久追放されてしまいます。
自らは大会に出場できなくなってしまったロビンソンですが、その後なんとかIFBBは黒人選手に対する待遇を改善。
のちにオリンピアで8連覇を成し遂げる黒人ボディビルダーのリー・ヘイニーも
「ロビンソンがいなかったら、黒人選手の地位は低いままだっただろう」
と語っています。
引退とその後
56歳でIFBBと決別したロビンソンは、その後もフィットネス界への貢献をつづけました。
コーチング、作家活動、パーソナルトレーナー、さらには俳優業まで挑戦し、その活躍の場を広げています。
NABBAという団体で大会を主催したりもしています。

大会成績
2000 Mr Olympia - Masters Over 50 1位
1997 Mr Olympia - Masters Over 50 1位
1994 Mr Olympia - Masters - IFBB 1位
1991 Musclefest Grand Prix - IFBB 1位
1989 World Pro Championships - IFBB 1位
1988 Niagara Falls Pro Invitational - IFBB 1位
1987 Mr Olympia - IFBB 5位
1981 Mr Universe - Pro - NABBA 1位
1979 Pittsburgh Pro Invitational - IFBB 1位
1979 Night of Champions - IFBB 1位
1979 Grand Prix New York - IFBB 1位
1979 Best in the World - IFBB, Professional 1位
1978 Professional World Cup - IFBB 1位
1978 Night of Champions - IFBB 1位
1978 Mr Olympia Heavyweight 1位
1977 Mr Olympia - IFBB, Tall 1位
1976 Mr Universe - IFBB, MiddleWeight 1位
1976 Mr Universe - IFBB 1位
1976 Mr International - IFBB 1位
1976 Mr International - IFBB 1位
1975 Mr Universe - IFBB 1位
1975 Mr World - IFBB 1位
1975 Mr World - IFBB 1位
1975 Mr America - IFBB 1位
1975 Mr America - IFBB 1位

トレーニング
ロビンソンは基本的なフリーウエイト種目も重要視し、マシンを使ったトレーニングはあまりしていなかったようです。
また彼はトレーニングを
- ヘビーウィーク
- ライトウィーク
の2種類に分け、1週ごとにヘビーウィークとライトウィークを繰り返しているようです。
彼の具体的なトレーニングメニュー例は以下のような感じです。
ヘビーウィーク
ヘビーウィークでは高重量を扱い、限界まで筋肉を追い込んでいきます。
また、ヘビーウィークのトレーニング内容やルーティーンはほぼ固定しているそうです。
胸・背中
インクラインベンチプレス | 8-12回3セット |
ダンベルプレス | 8-12回3セット |
ダンベルフライ | 8-12回3セット |
チンアップ | 10-15回3セット |
Tバーロウ | 6-12回3セット |
肩・腕
シーテッドダンベルプレス | 8-12回3セット |
シーテッドラテラルレイズ | 8-12回3セット |
ベントオーバーラテラルレイズ | 8-12回3セット |
バーベルカール | 8-12回3セット |
コンセントレーションカール | 8-12回3セット |
オーバーヘッドトライセプスエクステンション | 8-12回3セット |
トライセプスプッシュダウン | 8-12回3セット |
脚
レッグプレス | 10-20回3セット |
スクワット | 6-12回3セット |
レッグエクステンション | 10回3セット |
レッグカール | 10回3セット |
シーテッドカーフレイズ | 10回3セット |
ライトウィーク
ライトウィークのトレーニングはメニューを固定せず、パンプ感を重視してトレーニングしていくそうです。
スーパーセットやジャイアントセットなども取り入れ、最大限のパンプを引き出す工夫をしているそうです。
スーパーセット・ジャイアントセットについて詳しくはこちら!

食事
ロビンソンはボディビルダーの生活において最も大切なのが食事だと考えており、自然な食品を積極的に食べることを勧めています。
具体的に推奨している食材は以下のような感じ。
タンパク質
- 牛肉
- チキン
- 魚
- ターキー(七面鳥)
- ターキーのひき肉
- たまご
複合炭水化物
- ポテト
- ヤム芋
- オーツ
- 米
- パスタ
食物繊維
- ブロッコリー
- ニンジン
- ほうれん草
- とうもろこし
- 豆類
脂質
- アボカド
- オリーブオイル
- アーモンドバター
果物
- バナナ
- リンゴ
- オレンジ
- スイカ
- ストロベリー
また、サプリメントは以下のものを摂っていました。
- クレアチンモノハイドレート
- グルタミン
- BCAA
- カルシウム
- ビタミンB
- ビタミンC
- グルタチオン
- 必須脂肪酸
- 亜麻仁油

まとめ
伝説のボディビルダー、ロビー・ロビンソンについて紹介してきました!
数々の困難に負けず、歴史的な偉業を成し遂げてきた彼はまさにボディビル界のレジェンドです。
以上、『ロビー・ロビンソンってどんな人?【経歴からトレーニング、食事まで】』でした!
