【短命のレジェンド】アンドレアス・ムンツァーってどんな人?

選手紹介

極限まで絞り上げられた肉体と素晴らしいポージングで一世を風靡したボディビルダー、アンドレアス・ムンツァー

31歳という若さで亡くなってしまった彼ですが、その功績と肉体は今なお語り継がれています。

この記事では、そんなアンドレアスの生涯について紹介していきます。

プロフィール

本名:アンドレアス・ムンツァー(Andreas Münzer)
出身:オーストラリア
生年月日:1964年10月25日
没日:1996年3月14日(31歳)
身長:170cm
体重:106-111kg
胸囲:147cm
上腕:53cm
Andreas Munzer - Greatest Physiques

経歴

ボディビルダーへ

オーストラリアに生まれたアンドレアス・ムンツァーは、同じくオーストラリア出身の伝説的なボディビルダー、アーノルド・シュワルツェネッガーにあこがれ、ボディビルの世界に興味を持ち始めます。

22歳で初めての大会に出場し6位に入賞するなど、若くからボディビルダーとしての才能を開花させました。

2年後には早くもプロカードを獲得し、プロボディビルダーとしての活動を始めます。

1989年、当時全くの無名選手だったアンドレアスは、「Mr. Olympia」でプロデビューを果たします。

初のプロ戦で世界最高のボディビルダーたちと戦いあい、13位という結果に終わります。

この結果は満足できるものではありませんでしたが、彼は確かに手ごたえをつかんでいきました。

プロデビューからわずか数カ月後、アンドレアスは「World Games」で優勝を果たし、早くもプロ初勝利を遂げます。

その後1990年から1996年にかけて、アンドレアスの活躍は続きます。

「Arnold Classic」、「Ironman Pro」などのトップレベルの大会で何度も上位に入賞し、その時代を代表するボディビルダーとなっていきました。

大きな大会で優勝することこそなかったものの、彼のすばらしいポージングパフォーマンス、極限まで体脂肪を落とした肉体、そして抜群のコンディションは、ライバルたちからは恐れられ、ファンたちからは称賛を浴びました。

しかし、彼の代名詞ともいえる体脂肪率の低さと極限のコンディションが、のちに悲劇を引き起こすことになります。

Was Andreas Münzer the most shredded bodybuilder ever? : bodybuilding

早すぎる死

キャリア晩年、アンドレアスは筋肉や内臓におかしな痛みを感じ始めます。

最初は我慢できるくらいだった痛みは次第に増していき、1996年の12月には彼は入院することになってしまいます。

入院したアンドレアスの体調はどんどん悪くなっていきます。

肝臓や腎臓は痛み出し、出血もとまらなくなっていきました。

治療もむなしく、ついにアンドレアスは31歳という若さでこの世を去ってしまいます。

アンドレアスの告別式では、彼のよき友人であり憧れでもあったアーノルドがお別れの言葉を述べました。

Bodybuilder Andreas Munzer - Diät, Training, Messungen, Fotos und Videos -  de.detiradugi.com

死因

アンドレアスの死後、彼の体脂肪率が異常に低くほとんど0%だったことが分かり、この低すぎる体脂肪率が彼の身体にダメージを蓄積していったのではないかと考えられるようになりました。

またアンドレアスは、

  • 極限まで体脂肪を落とすため
  • コンテストでのコンディションを高めるため

キャリア初期から多数のドラッグを使用していたともいわれています。

これらのドラッグが原因で

  • 肝臓にいくつも腫瘍ができる
  • 心臓が正常な人の倍以上の重さになる

などの症状が引き起こされ、彼の若すぎる死につながったともいわれています。

Andreas Munzer, Graininess, and Bad Skin – Built Report

大会成績

1986 European Amateur Championships (MiddleWeight) 6位
1987 World Amateur Championships (Light-HeavyWeight) 3位
1988 World Amateur Championships (Light-HeavyWeight) 3位
1989 Mr. Olympia 13位
1989 World Games (HeavyWeight) 1位
1990 Arnold Classic 3位
1990 Grand Prix Germany 3位
1990 Mr. Olympia 9位
1991 Arnold Classic 9位
1991 Ironman Pro Invitational 3位
1991 Mr. Olympia 順位外
1991 Pittsburgh Pro Invitational 4位
1993 Arnold Classic 7位
1993 Grand Prix Germany 2位
1993 Grand Prix Germany 4位
1993 Night of Champions 2位
1993 Mr. Olympia 9位
1994 Arnold Classic 5位
1994 Grand Prix France 8位
1994 Grand Prix Germany 5位
1994 Mr. Olympia 9位
1995 Arnold Classic 4位
1996 Arnold Classic 6位
1996 San Jose Pro Invitational 7位
The tragedy of Andreas Münzer

トレーニング

アンドレアスの上半身は、トレーニングを開始してすぐに成長していきました。

それに対して下半身はなかなか成長せず、彼自身がウィークポイントだど自覚していたと言います。

そこでアンドレアスは脚のトレーニングに対する意識を変え、一からトレーニングを見直しました。

6-8回ギリギリできるような重量でとにかく強度を追い求め、1レップ1レップに全身全霊をこめてトレーニングするようになった結果、いつのまにか彼の脚は弱点ではなくなっていました。

ということで、アンドレアスの脚トレメニューについて紹介してきます。

スクワット 8-12回4セット
ハックスクワット 8-12回4セット
レッグエクステンション 8-12回4セット
レッグカール 8-12回4セット
ライイングレッグカール 8-12回4セット
シーテッドレッグカール 8-12回4セット
スタンディングレッグカール8-12回4セット

特に大事にしていたのはライイングレッグカールで、補助を付けて限界ギリギリまで追い込んでいたそうです。

Die Tragödie von Andreas Münzer

食事

極限まで絞り上げられたアンドレアスの肉体は、どんな食べ物でつくられたのでしょうか?

彼の食事に対する考え方にも目を向けていきましょう。

増量期

増量中のアンドレアスは、筋肉をより成長させるため、1日に6000kcalもの食事をしていました。

大量のカロリーを摂取する一方で食事の質にもこだわり、七面鳥の胸肉、チキンの胸肉、米、ポテトなどの極めてクリーンなものしか食べなかったそうです。

減量期

減量期も、特別変わったことをしていたわけではありません。

食事の質は落とさず、摂取カロリーを2000kcalまで減らすことであのバキバキの肉体を手に入れていたといいます。

The 7 Most Disturbing Deaths In Bodybuilding History – Page 2 of 3 –  Fitness Volt

まとめ

若くしてこの世を去ってしまったボディビルダー、アンドレアス・ムンツァーについて紹介してきました!

彼のボディビルに対するすさまじい執念にはびっくりですね。

以上、『【短命のレジェンド】アンドレアス・ムンツァーってどんな人?』でした!

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